記憶の底にひそむもの 4
枯葉色の髪の間から光るブルーグレイの瞳がバックミラーに向けられた。
合同庁舎を出てからずっと自分の2、3台後に着いているセレナ─。黒髪の男がステアリングを握り助手席に1人、後部席に2人・・・。その1人が、
(ドウラ)間違いない。サントスの知り合いの元アメリカンマフィアだ。(奴がなんで日本に・・。おれを付けているのか)
ラスベガスではドウラはサントスに協力していた。今もサントスの依頼で自分をつけているのか?なんのために?
(まさか神宮寺とコンビを組むためにおれが邪魔だから─)
ま、それならそれでもいい。受けて立つだけだ。だが─。
ジョーはPCナビでセレナのナンバー照会をしようとしたが、
「チッ」舌を打ちナビの通信機を情報課に会わせる。「ダブルJのジョージ・アサクラです。車両のナンバー紹介を頼む。PCナビをまだ更新していないんだ」
“了解”とスピーカーの向こうから情報課の天野の声が響く。
各車両に取り付けられているPCナビはナビゲーションはもちろん通信機や検索などパソコンとほぼ同等の機能があり、JBのメインコンピュータとも繋がっている。それゆえセキュリティも強固で、時々変わるアクセスナンバーやメインコンピュータからの情報を更新しなければならない。
だが、しばらくセリカに乗っていなかったので更新されていないのだ。
返事は10秒と経たないうちに来た。
『そのナンバーと車両は2日前の日付で盗難車両として届け出されています』
「盗難車ねえ・・・。Danke、天野」
通信機を切った。
さてどうしたものか。少なくともこのまま千駄ヶ谷へ行くわけにはいかない。
ジョーは新宿通りから新宿御苑への曲がり道を素通りした。そのまま代々木や初台方面へ向かう。
平日の昼間でも車通りの多い国道20号線だ。向こうも無茶な事はしてこないだろう。
「チェッ、なんでおれが逃げなきゃならねーんだよっ」
こちらも同じく無茶な事はできず、それなら早いとこケリをつけてやると笹塚通りで20号を外れた。一定の距離を空けセレナもついてくる。
商店街を抜け住宅地に入る前に資材置き場のような空間があった。誰もいないのでその前でセリカを停める。セレナは10メートル程後ろに停まった。
ジョーはPCナビのいくつかのスイッチを入れセリカから降りた。セレナからも3人の男が降りて来た。しばらくその場に立ち止まっていたが、ジョーが動かないと悟るとゆっくりと近づいて来た。
「Hi、Doura。a help of Santos?(やあ、ドウラ。サントスのお使いか?)」
セリカに寄り掛かったままジョーが言った。だが3人の1番後ろについていたドウラはそれに答えず、前の男の陰に身を隠そうとした。
「お前を日本にまで寄こすなんてサントスの奴、よほど─」ジョーの声が途切れた。黒髪の男が銃を向けている。資材置き場に入るよう促された。「これもサントスの言いつけか?」
「Where is the fur?(ファーはどこだ)」黒髪の男の言葉にジョーが、“なにっ!?”と目をむく。「お前が出て来た警察の建物にファーがいるのか」
「ファーだと。ドウラ、お前─」
ジョーは自分の考えが間違っている事に気がつき、ドウラにその鋭い瞳を向けた。ドウラはますます身を小さくしている。
「訊いている事に答えろ。ファーはあの建物のどこにいる。いつまであそこにいるんだ」
「・・・・・」ジョーはドウラに向けていた目をゆっくりと目の前の黒髪の男に戻した。TEの残党だろうか。初めて見る顔だ。ファーによく似ていた。「あんた、ファーの兄弟か?」
「ファーは兄だ。さあ、そっちも答えろ。ファーはあの建物にいるんだなっ」
「さあね」そっぽを向いたとたん右の頬を
明らかにウソだとわかる口調で男を挑発する。だが男はのってこない。ジョーの胸に銃口を押し付ける。
「ならばお前を人質にしてファーを解放するように日本の警察に要求する」
「あんたら、おれの仕事わかってんだろ?おれは人質にはならねーよ」
「それなら来日したサントスに直接話をつける。ファーはお前と交換だ」
「サントスが日本に?」ジョーはちょっと驚いたようだったが、「無駄だ。サントスなら喜んでおれを好きにしろって言うぜ。なっ、ドウラ」
ジョーは再びドウラに目を向け、ドウラは黒髪の男に頷いてみせた。そして、
「サントスを脅すなら、こいつの仲間の日本人を人質に取った方がいいぜ」
神宮寺の事だ。ドウラはラスベガスで、サントスと一緒にいたジョーや神宮寺を見ている。
「やってみろよ」ジョーが口元を歪めた。「もっともあいつに手を出すくらいなら、おれかサントスの方がなんとかなるかもしれないぜ」
3人の中で1番細身の神宮寺がジョーを制しサントスを倒す。もちろんドウラは信じていないだろうが。
「とにかくこいつをこのまま帰せない。おれ達の車に乗れ。お前の車のキーを貸せ」
「それが」ジョーがヒョイと肩をすくめた。「キーを指したままロックしちまってよ。スペアもねェンだ」
見るとセリカのキーシリンダにはキーが差し込まれたままだ。
「無理にドアを開けようとするとサイレンが鳴って警察にオンラインだぜ」
「どじな奴だ」
男が呆れた。
ジョーの言う〝警察〝とはもちろんJBの事だが、彼らはファーがいる霞が関の建物だと思っただろう。
「まあ、いい。早く乗れ」
男がジョーに銃口を向け促す。こんな物を躱すのはわけないのだが。
(こいつらのアジトがわかる。関に貸しを作って高級クラブでも強請ってやるか)
ジョーがセレナの後部二列目に着く。ドウラは三列目に入り、ジョーの隣には茶色の髪の男が座った。
ジョーがチラッとドウラを見る。彼は本当にこいつらの仲間になったのか。それこそ、これもサントスに協力しての潜入行動なのか─。
「しばらく寝ててくれ」
男の言葉に振り向こうとしたジョーの後頭部に衝撃が走った。一瞬目の前の男とファーの顔が重なった。だがすぐにシートに昏倒した。
その頃セリカの車内ではPCナビのいくつかのライトが点滅し始めていた。
『神宮寺君』室内フォンが鳴った。情報課々長の井上だ。『ジョーから何か連絡は?』
「ジョーですか?いえ、何もありませんが」そう言えばもう昼過ぎだ。警察庁の帰りにどこかへ寄り道しているのだろう。「ジョーに用ですか?」
『いや、彼の車のコールサインが弥生町辺りから発信されている。呼んでも応答がないし』
「弥生町?なんでそんな所に」
もう少し北へ行けば神宮寺のマンションがあるが。
『一応、事故処理班を出してもらったから追って報告があるだろう』
もし何かの理由でセリカやジョーが動けなくなっていて、ジョーがセリカのセキュリティをセットしたら彼自身でなければセリカのドアを開ける事ができなくなる。後は事故処理班に頼むしかない。
『神宮寺君!』井上からのフォンが切れ、またすぐに鳴った。『至急、私の部屋に来てくれ!』
いつにない緊迫した森の声に神宮寺が部屋を飛び出し階段を駆け上がった。
「それを─」
森が指差したのは公安3課と森直通のホットラインだ。
『Joe, are you really Joe?(ジョー、本当に君はジョーか?)』スピーカーから聞こえるのはちょっとクセのある英語を話す関だった。『ジョーだというのなら声を聞かせろ』
神宮寺は戸惑ったが、森が自らの唇に人差指を立てた。見ると森が手にしているのはホットラインではなく一般電話の受話器だ。どうやらホットラインの方は3課に掛かって来た電話をこちらに中継しているらしい。森の相手は3課の木村か山本か。
『ほら坊や、ちょっと声を聞かせてやれ』関ではないがやはりクセの強い英語だ。と、同時にスピーカーからゴン、ゴツンと何かがぶつかるような音がした。『何か言えっ!』
『ジョー』
『本当にぼうやかいっ』
関とサントスの声が重なった。
「ほらサントスだぜ。助けてくれって言えよ」
黒髪の男─ファーの弟のロブがジョーにマイクを突き付けた。それでもジョーは口を開かない。
頬を殴られた。反対側からもう一発─。だがジョーは声ひとつ立てなかった。
「こいつ、強情な奴だ」
(関はもちろん、サントスに助けを請うなんてそんな格好悪い事できるか)
その一念でジョーは繰り出される
「ぐっ!」
突然、わき腹を蹴られ声が出てしまった。完治していない左側だ。一応塞がってはいるものの、続けて負傷しているので当分の間毎日診せるように、と榊原に言われていた。
ジョーは包帯の巻かれているその部分を押さえ床に倒れ込む。
『ジョー!』
今のでジョーだとわかったのだろう。関とサントスの声がまた重なった。
「本物だろ?」ロブが言った。「ほら、もう少し聞かせてやれ。ファーを解放しろって─」
「サントス─」ジョーが口元に突き付けられたマイクに向かって言った。「おれの事が邪魔だからって、ドウラにこんな事させるなんてきたないぜ。お前が直接向かってこい」
『ドウラ?なんで?そこにいるのか?』
ガタガタと音がして、“サントス!
『おれはそんな事ドウラに頼んじゃねーぞ!ドウラ!今度会ったらどうするか覚えてろよ!』
サントスの雄叫びを聞き青くなっているドウラを見て、どうやら今回はドウラは敵方なのだとジョーは思った。
余計な事を、と睨みつけるドウラを反対に睨め上げてやる。床に座り込んでいるもののジョーの眼力が落ちる事はない。ドウラがすぐさま目を逸らす。
「これでさっきの話になる。ファーを解放しろ。この坊やと引き換えだ」
『ロブ、TEの残党はほとんどニューヨーク送りになっている。そこにいる何人かが今のTEの全員だろう。ファーを解放しても元の組織には戻らないぞ』
「あんたが心配する事じゃない、サントス。今日中にファーを解放しろ。でなければ─」
『無駄だ。ジョーを盾にしてもファーは解放しない。好きにしろっ』
「お前が決めるな、サントス!」
ジョーが言い、おれの言った通りだろ、とロブを見た。
「おれは日本の警察と交渉しているんだ。セキといったな、どうだ」
『・・おれ1人では決められない。時間をくれ』
もちろんいくら時間を貰ってもこんな交渉が成り立つわけはないのだが。それはロブもわかっているだろう。だが今はこの手しかない。
「返事は1時間後だ。この通信機を空けておけ。ハッキングするのも大変なんでね」
『こらあ、ジョー!そんな所で遊んでねえで、さっさと─』
サントスの声が切れた。
「さっき井上さんからジョーの車が放置されていると連絡がありましたが」
「うん、事故処理班の報告では車内は無人で、やはりセキュリティが掛かっていたそうだ。今JBに搬送している途中だが・・・。そこで捕らえられたか・・いや、飛び込んで行ったのか・・・」
「うちの担当じゃないのに」神宮寺には珍しいグチだ。「ファーの事は関さんやサントスに任せておけばいいんだ。いくら目の前に獲物が現われたからってコンドルじゃあるまいし─」
「ジョーらしいといえばジョーらしいが・・・。はい、あ、関さん。ええ、神宮寺君と聞きました。─そうですね。わかっています。─はい、では」森が受話器を置いた。「一応課長に報告するそうだ。が、結果は聞くまでもないな」
「・・・・・」
それはそうだ。公安もJBもこんな要求を呑むはずがない。彼らが考える事は、この状況をいかにこちら側に有利になるようにするか、だ。
神宮寺はJBの担当ではないと言ったが、ラスベガスでファーを追い今またジョーがTEの残党に捕らえられている現状から関わざるを得なくなった。サントスではないが、さっさと潰して逃げ出して来い、と思う。
「余計な事に首突っ込みやがって」
珍しく機嫌の悪い神宮寺の、その原因のひとつはファーに会う事をジョーに命令した自分にあるのだろうな、と森は思った。
JBに運び込まれたジョーのセリカは、事故処理班の手で傷ひとつ付かずドアが開けられた。だがジョーを連れ去った犯人の手掛かりになる物は何も記録されていなかった。
ジョーはドウラをサントスの用事で来たものと思っていた。まさかファーに関わっているとは思っていなかったので、ドウラと一緒にいる男達の事を残す必要はない、と考えたのだ。
それでも万一のためにセリカにセキュリティを掛けた。が、ジョーが男達の正体を知ったのはセリカから降りた後だった。
キーシリンダに指してあるキーは偽物で、もしキーがなくてもジョーの指の血流判断システムでドアは開くが、車内にはウッズマンを始めJBに繋がる物が多くある。
ジョーは自分が30分経ってもセリカに戻らない時に発信するコールサインでセリカをJBに託したのだ。
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